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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

通り雨 3

 通り雨  3

     急の破



 蒔田浅尾陣屋は、宝福寺の東半里の所に有りやした。宝福寺に洋式に軍装した元奇兵隊に居座られていて、いつ襲われるか分からない状態ではおちおち眠ることもかなわなかったでやしょう。

 隊士達は出発つの準備に忙殺されていやした。未だ、十四・五歳の若者が大半で有りやしたから、孫一郎は若者の姿に子供の千之輔の面影を重ねて見ていやした。

「隊長!」坂太郎が駆けて来やした。

「うん」振り向いた孫一郎の声は力の無いものでやした。

「やるだけの事はやりましょう。とにかく松山を攻めましょう。この者達に死に場所を与えてやらねばもう帰るところは無いのですから」坂太郎は興奮していやした。

「死に場所をのう。出来れば、否絶対に生きる場所を与えてやらぬばならん」孫一郎ははっきりと言いきりやした。

「その隊長の気持ちが隊士達を元気付るのです」

「そうでのうては・・・」孫一郎は隊士達の方を見やした。

 これからどのような運命が前に立ちはだかつているか分からぬと言うのに、無邪気に昼飯を食べ明るい笑い声を挙げていやした。その姿を見て孫一郎の心また揺れやした。が、己の命を引き換えにしても守ってやらなければならないと言う思いが沸いてきていやした。

 引頭兵介は消えていやした。坂太郎が五十名を率いて裏街道を松山へ向けて発ちやした。後に残った百名余りを連れて孫一郎が松山へ向けて出発つしやしたのは、四月十二日の午後三時を過ぎていやした。

 権観岳は、生繁った槙と赤松の梢が、切り立った岳から高梁川の流れに垂れていやした。その下に岩を削り取った三尺ほどの山道が松山への街道でやした。険しい絶壁にへばりついたような坂道が一里ほど続いていやした。目の下に高梁川の清流を眺めながら緩やかな行軍が続いていやした。

 その少し前、宝福寺の北一里半の谷田部に陣を牽いていやした松山勢に、物見から隊士達が松山へ向けて発つたとの知らせが入りやした。松山勢は慌てやした。三百の兵を繰り出していやすから城内には僅かな兵しか残してないのでやすから、それは当然でやしょう。物頭野村新兵衛が急いで兵を松山へ引き返させたのは、孫一郎一行が出発つした一時間の後でやした。  

 孫一郎率いる隊は、ゆつくりとゆっくりとまるで牛歩のようでやした。孫一郎の迷いと同じのように隊士達の歩幅も緩やかでやした。権観岳を越えた頃にはもう夕暮れが迫っていやした。西の空に赤く燃える夕陽が高梁川に映えていやした。木の根と、花崗岩の破片が草鞋に喰い込んで、足の裏は熱くなり腫れあがっていやした。その足を隊士達は高梁川の流れに浸しながら、無邪気に戯れていやした。。近くの酒屋で買入やした菰被りの四斗樽の鑑が抜かれやした。隊士達は交互に柄杓で煽りやした。その味が隊士達に取ってどのような味かと孫一郎は考えやした。その思いを忘れようと柄杓を何度も重ねやした。

 松山を隊士達の死に場所にしても良いのか、兵介の言う様に北海道という生きる場所を与えてやることが本当なのかも知れない。それが無心に信じてついて来た者への労りではなかろうか。孫一郎は未だ迷い道にいやした。

 孫一郎は人夫達にも酒を飲ませて帰しやした。

 隊士達は一向に動こうとせず、暮れなずむ高梁川の流れを見詰めていやした。孫一郎はその流れを、己の流れのように眺めていやした。

 その時「ズシーン」という重い音が宝福寺の方向から響いてきやした。隊士達は一斉に今までの戯心を止め身を引き締めやした。孫一郎は何が起こったのかと東の方を遠眺しやした。兵介のことが頭を掠めやした。兵介が見つかったと思いやした。孫一郎はもう躊躇していやんでやした。兵介を死なせてはならないと心の中で叫びやした。

「宝福寺へ引き返す」孫一郎は紅白の旗を右手に高々と上げ振り下ろしやした。そして、先頭に立って走りだしやした。その後を追う隊士達の動きも素早かったでやす。まるで眠っていた獅が腹をすかして起き獲物を追い掛ける時のようでやした。権観岳の凸凹山道を一気に走り抜け宝福寺の裏山秋葉山井山へと入りやした。井山から宝福寺の三重の塔が見えやした。二十日月が昇り始めた穏やかな春の宴でやしたが、その下にある浅尾の陣屋から火の手が挙がっていやした。その浅尾に向かって隊士達は雪崩込むように突撃を致しやした。坂太郎も引き返している筈でやした。浅尾は倉敷代官所のように無抵抗ではなかろうと、孫一郎は走りながら思いやした。孫一郎と隊士達が着いたときには、浅尾と坂太郎率いる隊士達が斬り結んでやした。大砲が火を吹き陣内で炸裂して炎を挙げ、ケペール銃の弾丸が赤い糸を引くように流れていやした。

「逃げる者には手を出してはならん。女子供を殺すな」孫一郎は右手に刀を持ち、走りながら叫びやした。浅尾の剛の者が孫一郎の前に立ちはだかりやした。二合三合と刀を合わせやしたが孫一郎の敵ではありやせんでやした。隊士達は一升徳利に火薬を詰め陣屋内に投げ込みやす。それを狙ってケペール銃が撃たれやした。そこに新しい炎がめらめらと上がりやした。陣屋は天ぷら鍋に火が点いたように燃え盛りやした。その明かりは半里先を流れる高梁川の川面を赤く染めていやした。

 浅尾陣屋での戦はおよそ二時間で終わりやした。

 陣屋では、宝福寺から隊士達が発つた事を知り、ほっとしたところを衝かれたのでやした。心の準備を解き、酒を食らっていた陣やの者が数倍のそれも洋式訓練をつんだ隊士達にどのような応戦が、抵抗が出来たでやしょう。手向かう者は数名、その後の者は尻に帆掛けて逃げやした。

 孫一郎一行が浅尾陣屋を占領しやしたのは、四月十三日の夜明けやらぬ朝でやした。

 孫一郎にとりやして浅尾取りは予定の外でやした。隊士も十数名死傷いたしやした。浅尾の死傷者は三十数名、武士は逃げ、足軽、下働きの小者達が哀れな屍を晒していやした。その者達を丁重に葬るよう孫一郎は命じやした。

 宝福寺で代わる代わる朝食をとりやした。戦が済んで残ったのは、心の虚しさと空腹だけでやした。

「隊長すいません。途中で松山の軍に出会い後退して浅尾に入ろうとしたのですが・・・。戦になりました」坂太郎は平然と言いやした。

「仕方が無かろう」孫一郎は小さく頷き、遠くへ視線を投げやした。兵介がじーとその姿を見詰めていやした。何か言いたそうで有りやしたが、坂太郎の顔を見て黙り込みやした。

「これからどのように、もう松山へは行けません」坂太郎がくぐもった声で言いやした。「もはや、備中の放虎となってしまった。流れに身を委ねるより外に手立てはあるまい」「松山勢も間もなく引き返してきましょう。ここに立て籠もり応戦いたしますか」

「いや、それは出来ぬ。これ以上隊士を失いたくないし、傷つけたくもない」

「では・・・」

「少し休んで海へ出よう。金子を皆に分けてやってくれ。これから生きていくには必要なものだ。・・・浅尾を襲ったとなると松山勢より、今度は岡山藩がだまっていまい。それだけは絶体に避けなければならぬ」

「我々をどのように扱うかで岡山藩は・・・」

「そういうことだな」

「では、隊士達にその準備をさせましょう」

「讃岐の多度津で会おう、そう伝えてくれ」

「はい」坂太郎は細い目をしばつかせながら去りやした。その後ろ姿を孫一郎は思案げに見送りやした。

「隊長!」兵介が躙り寄りやした。

「言うな」孫一郎は大きく首を振りやした。

「済んだことだ。もう元の盆には帰らん。坂太郎には坂太郎の考えもあろう。浅尾の蒔田は蛤ご門の相手その仇を・・・」孫一郎の言葉に兵助は泣いていやした。

 孫一郎は坂太郎の出過ぎた行動を責める気持ちは有りやせんでやした。寧ろ決断を早めてくれたことに感謝する心が動いていやした。例え坂太郎の考えがどうであれ、これから先は逃げて生き延びる道を見付けなければならない事を知っていやした。兵介の言った通り海へ出て新しい天地を捜してやらなくてはならないと思いやした。この浅尾に残って賊軍となって逃げ惑うことだけは避けなくてはならないとも思いやした。

 隊士達は最小限の武器を持って吉備の里を後にいたしやした。高梁川に出やして高瀬舟に乗り下りやした。岡山藩は隊士達に早く逃げてくれと言わんばかりに堤の上からじっと眺めるだけでやした。隊士達の乗った舟が五軒屋の渡しの辺りにさしかかつた時、丁度潮が満ちて来やしてそれ以上は下れやせんでやした。そこで舟を捨てやして別々の行動を取ることになりやした。

 倉敷代官桜井久之助が芸州から急遽引き返し、援軍を率いて連島で待ちうけていやした。

「無駄死にするな、生き延びよ」と隊士達に孫一郎は告げやした。隊士は三人、四人と組になって高梁川を下って行きやした。下津井、呼松、塩生、通生、連島、大畠、味野、田ノ口と港に向けての行動が始まりやした。岡山藩は領内を隊士達に合わせて兵を動かせていやした。

 隊士達には五十両近い金子が渡されていやしたから、その金子で各々舟を雇い海を渡りやした。中には万悪く捕らえられた者もおりやした。

 孫一郎は、坂太郎、兵介を伴って通生の三輪を頼りやした。

「同士は事前に殆ど捕らえられました。津山の井汲先生は牢死なさいましたそうで・・」「なに、先生が」三輪の言葉に孫一郎は絶句いたしやした。

 何と言うことを、私は先生を殺したと言うのか。こんな無謀な事をしてあたら有為な人を・・・。と悔やみやした。もっとはっきり心を定め計画を練り、己の考えで、意志で行動すべきであった。曖昧さが、優しさが多くの人を迷わせてしまったと、孫一郎は思いやした。

「三輪さん、舟を用意してください」

 三輪が舟の手配をしている間、通生院で暫しの休息を取りやした。坂太郎が吐血しやしたのはその時でやした。

「坂太郎、大丈夫か」

「はい」坂太郎は手で口を押さえて苦しい息の下から応えやした

「医者を呼ぼう」孫一郎は背を擦りながら言いやした。

「構わんで下さい」そう言って坂太郎は厠の方へ駆けり込みやした。

 通生の港から小舟が仕立てられ、瀬戸内の凪いだ海を島から島へと渡りながら多度津に向かいやした。空には低く真っ黒な雲が広がろうとしていやした。 





        急の急



 多度津に着きやして隊士達を待ち舟に乗りやした。半数近くしか集まりやせんでやした。その者達の安否を気ずかいやしたが、どうか達者で生きてくれと想うしか出来やせんでやした。舟に乗ったのは殆ど周防辺りの出身者ばかりでやした。その者の心には望郷の念が飽沸と湧きい出ていやしたが、長州はもう彼らを受け入れてくれる所ではありやせんでやした。その事を知ってみんな愕然としやした。彼らは孫一郎に盲従したとは言え軍規を犯し、隊則を破っているのでやす。そして、私党となって備中に地に殺到し逆賊となったのでやすから。その行動がいくら國を憂いてのこととは言え、長州藩が短慮を許す筈はありやせん。長州藩は元奇兵隊の出過ぎた行動に対して、脱藩逆賊であるから領内に帰ったら斬り殺せと言うお触れを出していやした。隊士達も、恐らく故郷に帰ることは自の死を早める結果になることを察知していやした。

 孫一郎は船の帆先に立ちやして静寂で穏やかな瀬戸内の海を眺めていやした。兵介が近寄って来やして、

「隊長、このまま北海道へ行きましょぅ」と泪声で言いやした。

「うん」

「そうしましょう。私が船頭に理を話、お願いしますから」

「他の者のことは兵介に任せようかのう」

「それで、隊長は・・・」 

「私には責任がある。長州に帰って裁きを受けなければならない」

「それならば、私もお供を致します」

「兵介はまだ若い、皆を連れて北海道へ行ってくれ」

「いいえ私には出来ません。隊長のそばを離れません」

「馬鹿なことを言うな、私は責任を取りに行くのだぞ。それがどのような事か・・・」

 その時、坂太郎が近寄りやして、

「心配はいりません。みんなで周防へ帰りましょう。私らの胆を高杉先生は分かってくれる筈です。わたしが・・・」そこまで言って潮風に噎びやした。口から血が吹き飛やした。

「坂太郎、人のことはいい。己の身を安じよ」

「小隊長大丈夫ですか、休まれていたほうが・・・」

「兵介の言う通りだ。兵介、船頭を呼んでくれ、私からお願いしよう」

「なりません。隊長の心は良く分かりますが、他に逃げてもどうにもなりません・・・。ここは私に任せて、とにかく周防へ上陸を・・・」喘ぎながら必死で言いやした。

 他の隊士達も北海道行きを望んでやした。が、船頭と口論になり均衡の無い苛立つ心が先に立ち、船頭を斬ってしまいやした。孫一郎はそれを聞き、ここは坂太郎を信用してみょうと思いやした。隊士達の行動に任せよう。生するも、また死するも、生まれた古里がいいのかも知れない。この流れを止めるのはそこしかないのかも知れないと思いやした。討幕の一端を担ったと言う義士の心で死を迎えるのも、義を成し遂げやした者の運命ではなかろうかと思いやした。

「隊長、そう心配なさいますな。高杉先生は私達の行動を分かつてくれる筈です。そのよようにはな・・・」

「言うな、身を安じよ」大きく咳込みやした坂太郎の肩を抱きやして、

「これから先は、定めに任せよう」孫一郎は坂太郎を哀れに思いやした。

 孫一郎は島田川の河口浅江の船を着けやした。兵介が寄り添うようについていやした。 浅江には清水美作の菩堤寺清鏡寺がありやした。その寺を通して総督に逢い、備中の政情を報告し、藩の正式な処置を仰ごうと孫一郎は思ったのでやした。

 清鏡寺の僧は孫一郎を見て驚きやした。脱藩者が備中へ雪崩込み、目的を遂げられず放虎となっていることは知っていやしたから、その者達がまさかここえ来るとは考えてはいなかつたのでやした。

「どうか、総督に逢わせていただき、身の振り方を指示願いたいのです」孫一郎は平伏して言いやした。暫くの間待たされやした。僧が現れやして、

「この度のことは、藩にとって大変有益なことであったと申しておられ、その労を労う意味で、今夜島田においてゆっくり致すようとの総督の言葉であります」と言いやした。

「隊長!」兵介が満面笑みを浮かべて叫びやした・孫一郎は微かな笑いを返しやした。どちらに転んでもいい、だが、兵介だけは助けてやらなければならないと思いやした。

 浅江から島田に行くには千歳橋を渡らなくてはなりやせん。島田川の両岸は密生した竹藪で覆われていやした。前を行く寺僧の堤灯が何故か小刻みに揺れていやした。橋の袂まで来た時、  

「橋を渡りますと、案内の者が待っております。私は今夜通夜が一つ在りますのでここで」とくるりと踵を返しやした。

「隊長」兵介が心配そうに言いやした。

「構わん、計る者には計られよ」孫一郎はそう言って橋を渡りやした。

「たいちょう・・・」兵介の声は濡れていやした。

「兵介、今まで色々と世話になったのう、例を言うぞ。私の代わりに生きてくれ、世の移り変わりを確りお前の眼で見てくれ」後を付いてくる兵介に言いやした。

 何故か、おけいと三人の子供の事が脳裏に浮かんでいやした。

「たいちょう・・・」兵介は泣きながら孫一郎に武者振り付きやした。

「人生は川ぞ。人はその上を流れる一つの泡ぞ。私は今ようやくそのことに気付いた。どのように流れに逆らっても、所詮弄ばれるだけだと言うことが。流れに逆らうには、私のような弱い心では駄目だと言うことが・・・。けれど、流れに身を任せることがこれまたどれほどの勇気がいることかも知った。兵介、生きてくれ、生きて生きて、その私の流れがどのように世の中を変えたか見定めてくれ。頼む」ゆっくりと言いやした。

「隊長」

 その時、対岸の竹藪の中がパァと明るくなり、銃声がしやした。

「うらをみせおもてをみせてちるおちば」孫一郎の心に浮かんだ歌でやした。



 てなわけで、夜長の暇潰しになりやしたでやしょうか。

 同じ事をした天誅組は維新後贈位されやしたが、立石孫一郎以下の元奇兵隊士にはなんの沙汰もありやん。寧ろ、歴史の中で忘れられつつありやすよ。

 なぁに、通り雨、夕立のようなものでござんしたよ。

 嘉平はここで大きく息を吐いた。

                         終わり



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